I no chi * mau

わたしを知る 綴る 見せる 還る。

心が 大丈夫じゃなかった。

 

 

 

 

 

 

 

心が大丈夫じゃなかった。

体が大丈夫じゃなかった。

 

 

 

そうすると

生きることが嫌になる。

 

 

 

 


「死にたい」

 


「生きていくことが苦しい」

 

 

 

 

 

 

わたしの場合は

“お金”のことがきっかけだった。

 

 

 


 

 

 

 

2年前ペニンシュラを辞めてから

収入が不安定な生活が始まった。

 

 

 

 


でも色んなところに出かけて

色んな人に出逢って

 

 

 

自由に舞っていることが嬉しかったし

心がすごく幸せだったから

その日暮らしで生きていた。

 

 

 

 


貯金はもちろんゼロ。

お財布の中身はしょっ中100円以下。

 

 

 

 

 

 

でも、ありがたい事に

 

 

 

 


(甘えているとか、頼っているとか、たぶん色んなことも含めて、)

 

 

 

 

 

 

私は死なずにずっとずっと

 

 

 

自分を生きる、をしていてお金をいただいて

旅もしながら

旅先でも生かされて

喜怒哀楽がありながら

幸せに生きていた。

 

 

 

 


ありがたすぎる。

 

 

 

 

 

 

わたしの可能性を信じてくれる

本当にすごい人たちにも出逢った。

 

 

 

 

 

 

お金に不安はあったけれど

でも生きてこれた。

 

 

 

 

 

 

ただ、そこで私は過信した。

 

 

 

 

 

 

「わたしは生きているだけで

 


きっと価値がある。」

 

 

 

 

 

 

 


それを信じたくて、

 

 

 

 


しかも全生命に対してそれを信じたくて

 

 

 

 

 

 

どこかに属してお金を稼ぎにいく、

ということをしたくなさすぎた。

 

 

 

 

 

 

社会という地に足をつけてお金を稼ぐことを

自分はしない、

 


自分で生み出せる、なんとかなる、を信じて

 


でも不安を持ちながら、

 


生きてきた。

 

 

 

 

 

 

人に助けられて生きてきた。

 

 

 

親の言うことをはねのけて

「自分を生きる」を叫んできた。

 

 

 

 

 

 

でも、ついに払うべきものが払えなくなった。

 

 

 

 

 

 

いつも通り、先に払うべきお金があるのに

 

 

 

 


なんとかなる、を信じて自分にとってその時に大切なことにお金を使って

 

 

 

支払い期限になって

 

 

 

ついに、支払いができなくて

 

 

 

当たり前のことができない自分が情けなさすぎて

 

 

 

大号泣した。

 

 

 

 

 

 

「ダサすぎる」

 

 

 

 

 

 

崩れるように泣いた。

 

 

 

 

 

 

今までの自分がいかに傲慢で

いかに人に頼ってきたのか。

そこから私のお金を稼ぐ、

ということへの闇が溢れ始めた。

 

 

 

 

 

 

「働けない。」

 


そんな状態が続いた。

 

 

 

 


みんなが当たり前にやっていることが

わたしはできなくなっていた。

 

 

 

 


バイトも就職もしたことはあるし

お給料がいらないくらい楽しんで

めちゃめちゃ働いていた。

 

 

 

 

 

 

だけれど、

何もできなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

というより、

自分で自分をできない自分にしていた。

 

 

 

 

 

 

「いのちの舞」

 

 

 

 

 

 

いつのまにかこれを使って

わたしの可能性を狭めた。

 

 

 

 

 

 

同時に

 

 

 

 

 

 

これがあったから生きてこれた。

この時はこれだけを命綱にしていた。

 

 

 

 

 

 

でも、その命綱を使ってお金を稼ぎたいと思えなかった。無理、だった。

 

 

 

だからそれを切ってしまいたくなった。

 

 

 

 

 

 

「のりこはいのちの舞で生きていけるよ」

 

 

 

 


そう言われるととても嬉しい反面、

できない自分がいて苦しかった。

 

 

 

 


「これだけをやらなきゃいけないのか」

 

 

 

もう、もしくは

 

 

 

「生きるのをやめたい」

 

 

 

そう思っていた。

 


“こんなことを安易に言ってはいけない

“思ってはいけない”

 

 

 

 


そんな気持ちがさらに自分を苦しめた。

 

 

 

ただ、そう思った。ということでよかった。

 

 

 

 

 

 

 


有難い事に、もっと違う稼ぎ方あるよ、って直接言ってくれる人たちもいた。

 

 

 

 

 

 

でもその時は視野を広げたくても

そうしようとしても

できなかった。

 

 

 

できるものならそれに動きたかった。

動けなかった。

 

 

 

 


人を迎えることが好き

暮らしの中でただ人の役に立てたらうれしい

この世界の役に立ちたい

素敵なカフェやパン屋さんで

人の笑顔のきっかけになりたい

 

 

 

 


そんな気持ちは空気のように消えてしまった。

 

 

 

 


「わたしは自分で生み出して生きることが

一番やりたいんだ。」

 

 

 

 


いつのまにか「自分を生きる」がわたしにとって武器になって

 

 

 

世界と仲良くなりたいのに

できない自分に心が崩壊しそうになった。

 

 

 

 

 

 

他の方法を伝えてくれていた方々には

心から感謝したい。

 


わたしは未熟すぎて

受け取れませんでした。

 

 

 

 


わたしの世界は分離していて

それがわかりながら生きていたけれど

どうすればいいか分からなかった。

 

 

 

 

 

 

わたしはこの世界でなにをしてもいいことなんか

頭では分かってる。

 

 

 

 


でも、

 

 

心がなにかを許さなくて

 

 

これから生きていく方法が

 

 

 

 

 

 

分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日 心が頑張っているのに気が付いて 解いた。

 


東京でモデルのお仕事を声かけてもらった好きなブランドさんとの約束を断った。

 


そして、大好きな人と出かけた。

 


花火に連れて行ってくれた。

 


わたしは正直あんまりいく気がしていなかった。

 


その前に行きたいカフェに寄った。

 


そこはいろんなところでお家の解体をお手伝いしてそれで出た古材を使ったすごく素敵なお店だった。

 


その人たちの想いと、

 


わたしの好きが詰まっていた。

 

 

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花火は人がたくさんいたけれど爽やかだった。

 


真っ暗な中に花火は溢れて止まらなかった。

 


華やかな色と、

 


大きな音と、

 


お祭の香りと、

 


心地よい風と、

 


隣にいる彼がいるということ感じて、

 


ただそこにもぐりこんだ。

 


目の前に広がる奇跡みたいな景色。

 


「生きててよかった。」

 


そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わたしは感じることを大切にしてきた。

 

 

それでも分からなくなった。

 

 

わたしは何をしたら喜ぶのか。

 

 

いつのまにか嘘になる。

 

 

苦しくなる。

 

 

 

苦しくなることはほんと。

 

 

 

その上でいい風に語ることが嘘。

 

 

 

ただ、自分から流れるように

 

 

 

死にたい、

 

 

 

苦しい、

 

 

 

分からない、

 

 

 

を語りたい。

 

 

 

嫌い、嫌だ、も伝えていきたい。

 

 

 

おさえなくていい。

 

 

 

わたしは

 

 

 

人間をたくさんやって

 

 

 

いろんな視点を持って

 

 

 

ほんとうの大丈夫を言える人になっていきたい。

 

 

 

 

 

 

 


変わらずに、

今でもいのちを舞うことで

自分から仕組みを作ってお金を稼ぎたいと思わない。

 

 

それは稼ぐために、

何かのために、

舞うわけではないから。

 

 

 

いのちの舞は何が大切なのか

それが分かっているから。

 

 


いのちが尊い

 

 

それが見せる世界はすごい。

そう簡単には言葉やお金に変えられない。

それは勇気がない、とも言える。

 


でも今は

それを含めて

 


いのちを舞いたい。

 

 

 

 

 

いまは何も余計なことを考えずに

その大切なものだけを追求したい。

 

 

 

 

 

 

 


いのちのアートで稼いでいる人たち 

本当に   すごい。

 

 

 

生きるために自分を世界に突き出して

生きている。

 

 

 

わたしはその人たちのアートに触れたい。

 


音がほしい。

 

 


ただ、舞いたい。

 

 

 

 

 

純粋に尊敬する人たちのライブをやりたい


その人たちが作る空気はすごい。


その音を 舞いたい。

 


今回の葛藤を越えて、いのち舞います。

 

 

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『岩崎けんいち& TOKI & いのちの舞Live @イラムカラプテ』

 


9月4日18:30〜

安曇野イラムカラプテにて。

広島と山梨から最高のアーティスト2人を呼んだライブ。

 


歌だけど、歌じゃない。

歌を越えている、歌。

歌の可能性を感じて欲しい。

 


生きてるという温度を一緒に感じたい。


全人類に来て欲しい。

 


そのままイラムカラプテに泊まって

自然の中で最高の朝を迎えるのはおすすめです。

 

 

 

 

 

 

_________________

 

 

 

 

 

 

 


稼ぐ、ということに対して

これからはやっと楽しめる感じはしていて、

 

 

 

 

 

 

この前出逢って仲良くなったステキなパン屋さんで2日間働かせてもらった。

 

 

 

 


朝からパンの幸せな香りに囲まれて

パンで笑顔になるお客様にパンを袋に詰めてお渡しすることは本当にしあわせだった。

 

 

 

 

 

 

さらにお給料をいただけることが本当に嬉しい。

 

 

 

 

 

 

男子2人組みがニューオープンしたお店を楽しんでお手伝いしたら

 


少しだけど、とお給料を手渡してくれた。

人の役に立てているんだなぁと感じた。

 

 

 

 

 

 

私の、働くという感覚は

まだまだ赤ん坊らしい。

 

 

 

 


でも、

だからこそ純粋に楽しめている。

 

 

 

 

 

 

最近、惚れてしまうカフェや空間、アートの世界観が統一されてきた。さらにわたしの好きなお店同士が日本全国でつながっている。

 

 

 

もう、この感じだ、と思った。

 

 

 

 


センスが同じ人と繋がる。

徹底的に魅力的な場所や人に関わる。

尊敬できる人のところに行く。

 

 

 

今までそこに妥協していたと思う。

 

 

 

 

 

 

ここを大切にすることは

 


わたしが作りたい場

「いのちを迎える処」に繋がると思っている。

 

 

 

 


素敵な人たちを集めたい。

みんなに知ってほしい。

イベントをやりたい。

「常念」を使いたい。(おじいちゃんのお蕎麦やさん。定休日に、お店でなくそこに暮らしを取り戻していきたい。)

丁寧に、出逢ったお一人お一人の話を聞きたい。

それを形にしたい。

 

 

 

 

 

 

わたしはそれをやりながら

ちゃんとお金を稼いでいきたい。

 

 

 

 


それは

 


いのちを舞うことを諦めない、ということ。

 

 

 

 


自分を否定することもあるし

世界が憎くなることもある。

 

 

 

 


でも、どんなに過去の自分がダサくても

わたしの生きる純度は変わらない。

 

 

 

綺麗にまとめないで、

後悔したり、こうやって苦しんで否定したりもできるようになった。

 

 

 

まだまだかもしれないけれど。

 

 

 

 

 

 

この枠の崩壊を越えて

舞いたいときに舞ういのちは

どんなだろう。

変わらないかもしれないし、

変わるかもしれない。

 

 

 

ただ、確実にいま

わたしは人間のアートを前よりも信じてる。

 

 

 

 


わたしと生きてくれているみなさん

本当にありがとう。

 

 

 


ひたすら私は赤ん坊であることを気付かされる。

 

 

 

どうしたって変わらないものを信じながら

 


もがきながらも

 


変わっていきたい。

 

 

 

 

 

 

わたしは自力で生きていきたい。

 

愛する人を大切にしながら

 

心地よい音のなるほうへ、凜と  。

 

 

 

 

 

 


わたしの人生の1ページ

読んでくださったみなさん

本当にありがとう。

 

 

 

 

最後に ひろきさんが作ってくれた花火の日の動画です。

https://youtu.be/c_2SESiwme4