モヤモヤ病を持つお兄ちゃん
こんばんは*
(今日行ったcafe “laboratoria” のナッツといちじくのタルト♡ )
I no chi* mau ブログを訪れて下さってありがとうございます。
私は普段東京の東日本橋にいるのですが
先週から実家の長野県松本市にいます🌱
今日の夜は お母さんとお兄ちゃんと3人で夜ご飯を食べました* (お父さんは単身赴任、6歳下の妹は愛知県で大学生)
わたしが実家に帰った時はわたしがご飯作る担当🍚
(海老チャーハンと上手だし大根スープ*)
今日はわたしの “お兄ちゃん” について。
過去のお話からしようと思います。
当時、東京に住んでいました。
わたしが3歳の時、5歳のお兄ちゃんと遊んでいるといきなりお兄ちゃんの左手がしびれ始めました。
急いでお母さんはお兄ちゃんを近くの病院に連れて行き、お医者さんから
「すぐに大きな病院に行って下さい。」
そう言われて大阪の病院に行ったところ、
【モヤモヤ病】
お医者さんからそう言い渡されたお父さんとお母さんは絶望したそうです。
信じられずに、それでも受け入れようとモヤモヤ病について調べまくったそうです。
モヤモヤ病とは、
私が説明できる範囲だと、脳の血管が細くなり閉塞していき、その代わりモヤモヤとした毛細血管ができてくる病気です。
呼吸を荒くしたりすると体がしびれて動かなくなったりします。わたしのお兄ちゃんの症状は、貧血になりやすかったり、暑さに弱かったり、全力で走ることは禁止されています。
あとは計算や車の運転などはできません。
すぐに大きな手術のために入院になり、お母さんはつきっきりで、お父さんも東京に仕事で戻るけれど結構な頻度で大阪の病院に通っていました。
その頃わたしは。。。
長野のおじいちゃんとおばあちゃんのお家と、
三重県のおばあちゃんのお家を行ったり来たりしていました。
お兄ちゃんが病気になって大変な状況であることは分かっていました。なので、お母さんやお父さんにわがままを言えなかったのかなぁと思います。
お母さんからおばあちゃんに電話があってのりちゃんに電話を代わってほしいと言われても、わたしは決して電話には出ませんでした。
お兄ちゃんが大変だから、お母さんに会いたいなんて言ったらだめだと思っていたから。
長野のおばあちゃんには、毎晩毎晩 外でおんぶしてもらい月を眺めていたことを覚えています。
「ねぇ、おばあちゃん、お願い。お月様とって。」
今でも会う度におばあちゃんから のりちゃんはいつもそう言っていたとこの話になります。
長野が飽きると三重県のおばあちゃんに電話して迎えに来てもらい、
三重県に向かう途中駅のホームで泣き叫ぶのです。
「お母さんに会いたい!お母さんに会いたい!」
おばあちゃんは本当に困ったみたい。。
大雪の中、おばあちゃんは泣き止んだ私にホッカイロで手を温めながらいっぱい話しかけてくれました。
そして、三重県にお母さんから電話が来ても出ませんでした。
初めてお兄ちゃんが入院している大阪の病院に行くことになりました。
おばあちゃんと一緒に待合室にいると、わたしよりも大きな子供たちが笑いながら走り回っていて、
その子たちは髪の毛がなく、帽子を被っていました。
「お兄ちゃんもね、頭の手術をしたからあの子たちとおんなじなんだよ* 強い子たちだね。」
おばあちゃんがそう言ったシーンが今でも浮かびます。
そして、半年ぶりくらいにお母さんとお父さんに再会しました。
涙をすごく我慢したので喉がとても痛くなりました。それでも溢れてくる涙が、やっとハグできたお母さんの洋服をビショビショにしました。
お父さんにも会えたのがすごく嬉しかった。
お兄ちゃんを見ると元気そうな顔はしているけれど、頭には大きな傷がありました。お腹も見せてもらったらお腹にも切った後がありました。
「お兄ちゃん、頑張ったんだ。」
それからお兄ちゃんはしばらくして退院して、小学校に入学すると特別学級に入りました。毎日薬を飲みながら、特に生活上問題なく過ごしていました。
わたしも小学生になると、お兄ちゃんのことを周りの友達が色々言うようになりました。
「のりこのお兄ちゃん、病気なんだろ?」
「おい、兄ちゃんきたぞ。」
廊下でお兄ちゃんとすれ違うことが本当に嫌でした。
お兄ちゃんが来ることがわかったら遠回りしたり、お兄ちゃんのいる教室の前は通りませんでした。
お兄ちゃんがクラスの人と喧嘩してるのを目撃して、色々言われてるのを見た時は泣きました。
わたしの友達が家に遊びに来ることがしょっちゅうあって、その時は、
「友達が来るから部屋から出てこないでね。」
そういってお兄ちゃんを友達に会わせないようにしていました。
お兄ちゃんの存在が恥ずかしかった。
違うことが嫌だった。
お兄ちゃんが中学生になってからある日、わたしが部活から帰ってきて、
お兄ちゃんの部屋から、お母さんに向かって話すお兄ちゃんの大きな声が聞こえてきました。
「俺だってな、のりことまゆこ(妹)にとってふつうの兄でいたかったんだよ!!!俺だって普通が良かったんだよ!!!」
わたしは動けなくなりました。
そして胸が苦しくなりました。
わたしは、最低だ。
わたしは、最低な妹だ。
最低人間だ。
そんなことを思い、そこからはお兄ちゃんに対していわゆる差別はしなくなりました。
一度だけ、お兄ちゃんと2人になったとき、ふいに「ごめんね。」を言った記憶があるけれど特に覚えていません。
それから、お兄ちゃんは中学を卒業して養護学校に通いました。
同じように病気を持つ友達と、たくさん喧嘩をして帰って来ることが多かったようです。それでも、親友もできたみたいで今でも仲良くしています。
お父さんからよく言われた言葉。
「お兄ちゃんはやりたくても出来ないんだぞ。」
その言葉から、受験勉強や色んなことをお兄ちゃんの分までやろうと頑張りました。
でも、それが逆にプレッシャーになったりして苦しんだりもしました。そのせいか、浪人生の時に摂食障害になりました。ストレスで大量に食べては吐く。そんなことを繰り返していました。
お兄ちゃんはお兄ちゃん、私は私、と分けて考えられるようになってからはお父さんにもそれを伝えてスッキリしました。
お兄ちゃんの病気を通して、わたしはたくさんの経験を味わいました。
他にも色々ありましたが、一番私にとって大きな影響があったのは、小さい頃にわがままを言えなかったこと。
そこから、私も病気になりたいと思うことがあったり、
お父さんとお母さんに対して反発したくなったり、
「私のやりたいことを分かって欲しい。」
「見てほしい。」
「愛されたい。」
その気持ちが強くて2人とはぶつかりまくり、実家に帰るのが本当に嫌な時があったり、
帰りたくて帰っても外に出まくっていたり。
それでも何度も何度も向き合うことを繰り返し、
ようやく反発心がなくなってわたしが幸せであることを自信を持って話せるようになりました*
そしてお兄ちゃんともたくさん話しています。
今回の帰省が今までで一番平和です🕊✨
小さい時はお兄ちゃんは、”障害を持つ人” という認識が大きかったのですが
今は、家族の中で 一番優しくて
家族全員の本質を見てくれている
そんな存在です🌱
みんな考え事や悩んだことがあったらお兄ちゃんに聞くと解決します。笑
お兄ちゃんは病気と向き合いながら、たまに愚痴をこぼしながらも、今は障害を持つ人を雇ってくれる作業所で働いています。
最近はお父さんの悪口ばっかり言っているのでわたしがお父さんの肩を持つことが多くなってきました。笑(今まではわたしがお父さんと喧嘩しまくりだったけど。)
そんなこんなで、わたしの中でお兄ちゃんという存在がどれだけ人生において大きいのかじわじわと感じています。
まだ1つ、やっぱり小さい頃に私が最低なことをしたなぁと思うことはもう一度謝りたいと思っています。
過去のことだから改まるのは恥ずかしいけど。
明日伝えてみようかな。
(病気発症前のお兄ちゃんと、わたし。仲良し。)
家族といい感じだと、わたしもとってもいい感じ♪
家族に対しても素直にそのまんまを出していきたい今日この頃です。
今日も読んでくださって本当にありがとうございます🌼
おしまい。
いのち舞う きむらのりこ*